翻訳と辞書
Words near each other
・ フレゼリク (ノアー侯)
・ フレゼリク1世
・ フレゼリク1世 (デンマーク王)
・ フレゼリク2世
・ フレゼリク2世 (シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゴットルプ公)
・ フレゼリク2世 (デンマーク王)
・ フレゼリク3世
・ フレゼリク3世 (シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゴットルプ公)
・ フレゼリク4世
・ フレゼリク5世
フレゼリク5世 (デンマーク王)
・ フレゼリク6世
・ フレゼリク6世 (デンマーク王)
・ フレゼリク7世
・ フレゼリク7世 (デンマーク王)
・ フレゼリク8世
・ フレゼリク8世 (デンマーク王)
・ フレゼリク9世
・ フレゼリク9世 (デンマーク王)
・ フレゼリク9世橋


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

フレゼリク5世 (デンマーク王) : ウィキペディア日本語版
フレデリク5世 (デンマーク王)[ふれでりく5せい]

フレデリク5世(Frederik V, 1723年3月31日 - 1766年1月13日)は、デンマーク=ノルウェーの王(在位:1746年 - 1766年)。クリスチャン6世ソフィー・マグダレーネ王妃の息子。
== 生涯 ==
1723年、当時はまだ王太子であったクリスチャン6世ホーエンツォレルン家傍系のソフィー・マグダレーネ王妃の息子。1730年に祖父のフレゼリク4世が亡くなると王太子になり、1746年にクリスチャン6世が亡くなると王になった。
フレデリク5世の個人的な影響は限られたものであった。彼はアルコール依存症だと指摘され、統治のほとんどは有能な大臣であるエーダム・ゴトロプ・モルトケ、ヨハン・ハートウィッグ・エルンスト・ベルンシュトルフとハインリヒ・カール・ヴォン・シメルマンによって行われた。彼らはデンマークがヨーロッパの戦争に巻き込まれることを拒んだ。その結果、間近でロシア帝国スウェーデンの戦争が行われていたにもかかわらず、デンマークは七年戦争の時も中立を維持した。
フレデリク5世は芸術に興味なかったが、抑圧的でもなく、その治世中にコペンハーゲン王立劇場王立デンマーク芸術アカデミー(Det Kongelige Danske Kunstakademi)を創設した。
1754年にデンマーク領西インド諸島をから購入した。
1760年に事故で足が怪我すると体がだんだん弱くなり、1766年に死去した。最後の言葉は「余にとって大いなる慰みは晩年において、けして何人もわがままに攻撃しなかったことと、余の掌に一滴の血が落ちなかったことである」であったという。死後はロスキレ大聖堂、ルイーズ王妃の傍に葬られた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フレデリク5世 (デンマーク王)」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.